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~行事を伝えていくこと,名月とハロウィン~ 前篇
こんにちは、松婆です。
少ししのぎやすくなってきました。食欲がわいてきますね。
甘いものが頂きたい秋になりましたね。先日,ご皇室の慶事ごとがテレビで放映されて
おりまして,野次馬根性しか持ち合わせていない松婆は,当然拝見しました。
秋篠宮家のご長女眞子様の婚約発表会見で,皆さんもご存知かと思います。
眞子様がお相手を「太陽のようなかた」と言えば,お相手は眞子様のことを「月のような
かた」と言う。私は一瞬,平安時代の御所にでも侵入したような,そんな気分になりました。
今どきの若いかたでも,そんな感性をお持ちのかたがおられることにビックリ仰天。
月・・・そうなんです!秋は名月の季節でもあり,作物の収穫期でもあります。
なんでも,今年の中秋の名月は,10月4日だそうで,9月のお彼岸もあいまって,スーパーでは既におはぎ商戦が展開されています。旧暦の8月15日夜の月を中秋の名月と呼びますが,現代の暦では,今年の中秋は10月4日だそうです。
月の形やら公転軌道やら,地球自身の動きなどから,毎年中秋の名月の日は変わります。
収穫を喜び,神への感謝の思いを伝える行事が,古代から今なお続いていることは,スーパーの営業戦略となっていようが,よいことと思います。実際,昔とて,スーパーまがいのことはガンガンやっていたと文献にも残っています。
たとえば,作物の収穫時期に合わせて,旧暦8月15日(十五夜の月)をいも名月,旧暦9月13(十三夜の月)を栗名月や豆名月と呼んでいて,名月の時期が2つあることから,両方の月を同じ場所で見ないと縁起が悪いよ~と,特に関東方面では言われており,江戸期には,「月見は吉原(江戸時代の遊郭)で!今年こそ片月見はやめよう!」なる広告が出回っていたとか(笑い) 「お金がどんどん飛んでいく,トホホ・・・」といった,お金持ちの旦那衆の川柳なども残っているようです。商魂たくましいのは古今東西変わりませんね。
お月見には,収穫物の最たるものであるお米に由来して,米を原料とする上新粉や白玉粉などを使って団子を作りお供えします。横に置くススキは,これも米の稲穂に似ているので供えますが,ススキにはトゲのように他を寄せ付けない体のしくみがあるため魔除けとも言われています。地域によっては,いもの収穫に感謝するため,いもを供えるところもあります。
面白いことに,これらのお供え物は,子どもたちは勝手に食べてもよいということになっています。何かハロウィンに似た感じですね。ネット時代ではない,通信的にはまことに
非グローバルな時代に出来た風習が似ているとは,人間そのものの感性に乾杯したくなりますね。 尚,後半の月見である十三夜は,今年は11月1日です。甘味処の商店などセールをするかもしれません。
つづく
前回の続き
発達心理学で「母子分離」ということばがあります。漢字の通り、母と子どもの行動上や精神上の分離を意味する言葉です。この母子分離がうまくいかないと、将来様々な問題が家庭に生じてくるということです。母子分離問題は、母親と息子間のほうがより深刻です。
母子は、生命が胎内に宿ったときから、その濃厚な付き合いがはじまります。彼らが意識
するしないに関わらず、この関係は、一般的に濃厚で信頼に満ち溢れています。母子はそもそも生理的なつながりを持っているため、母性は自然に与えられており、いわば標準装備的なものです。その核は「子どもを守る」、この点にほぼ集約されます。
一方、父親は違います。父性は意識して、努力して獲得していかなくてはなりません。
また、父性は母性と違い、少々危険なことでも、見守りの中で入り口くらいは体験させてあげたり、或いは危機回避の方法や、家庭外で生きていく術を伝授したりといった、もっと大きな枠の中でとらえた手本であり水先案内人の役目をもつものです。どちらかと言えば、危機に敏感な母親に隠れて、一緒に少々の危機を共有したといった仲間意識、こういったことが子どもの心にインプットされていることも大事だそうです。
父性は家庭内という小さな環境から、自然界といった大きな世界への誘い(いざない)とガイドを果たす役割を担います。
しかし、だからと言って、母子家庭・父子家庭といった、シングルペアレントの家庭環境が問題ということではありません。母子家庭では、母親が心掛けて父性の役割を担えば問題ありませんし、父子家庭では、祖母や近所のおばちゃんたちが、母性の役割を担ってくれたらよい話なのだそうです。問題なのは、同居しているはずなのに不在が多い父親であったり、無関心な父親であったり、家庭に母親が二人いるような、優しすぎる父親であったりといった現実だそうです。家庭内に母性を担う人間が二人いることは百害あって一利なしです。
思春期の入り口に入るころ、こどもは体格も増し、母親の力には及ばないことも出てきます。給料が安くても(笑)父親は父親です。何かあればガツンと一発、雷を落とすことも大事です。しかし、重要な場面でこの「ガツン!」が有効になるためには、上記で述べたそれまでの父親と子どもとの関わりや、父親に対する母親の思いが外せません。母親から見て、稼ぎの少ない父ちゃんでも、父ちゃんは父ちゃんです。稼ぎ=父性指数にするのはもっての外です。
うちの子はもう大きくなってしまったから・・・と諦めるのは早いですよ。
以前、或るCMで、父子が暗い押し入れの中で探検ごっこをしていました。隊長は息子です(笑) 世のお父さんたち、どうかどうか父性溢れるご家庭をお作りください。
みなさん、こんにちは。暑い夏でしたね。昔は「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が、
現実に成り立つ表現として存在していましたが、今はどうもピンと来ませんね。
経験上、夏の彼岸の頃(新暦のお盆時期)夜になると、窓を開けていれば、家の窓から窓へ
冷気を含んだ風が吹き抜けていたものです。勿論熱中症など存在していませんでした。
松婆は中央区育ちなので、彼岸の涼しさが田舎だけではないことの生き証人です。都会も田舎も、お彼岸が季節の区切りとして立派に存在していました。
松婆の家には、背格好は小さいが、えらく頑固で気難しい祖父がおりまして、暑い夏には、仕事から帰ってくるころ、冷えた麦茶と冷たく冷やしたおしぼりを家の者が準備して、ややドキドキしながら待ち構えていたものです。余程扱いの厄介な爺さんだったようで、出迎え係は幼き松婆でした(笑)いくら頑固で気難しくても、子どもに当たることはありませんでしたから。祖父は玄関の間(ま)で、実に美味しそうにごくごくと飲み干しておりました。懐かしい思い出です。祖父は醤油会社の杜氏で、家でも醤油を作っていましたから、親類含め家族全員が、祖父の甘めでマイルドな醤油を食していました。作る醤油は天下一品と思えるものでしたが、人間的には何とも頑固で付き合い難い人でした。社長でもないのに、威張っている困った爺さんだと思っていました。しかし、家族は皆、この爺さんを慕っていました。
今回は「親父」のお話です。
最近驚愕した話を、先ずもってお話したいと思います。十数年前には誰も考えもつかなったことですが、昨今の大学では「保護者会」が実施されているとのことです。
福岡を代表する大学でも行われているとの情報も得ました。東京の、とある大学では、お母さんが保護者会だけに満足せず、個人面談を要望され、そこで話された内容というのが、「息子は大学のことを何も話しません。レポートが出されているということですが、何枚位書けばよいのですか?また、その出来栄えは成績評価に結びつきますか?とにかく、ちゃんとやっているか心配で・・・」との弁。個人面談には他にも数名参加されたそうです。松婆はそれを聞いて、うなだれてしまいました。大学生と言えば、すね毛ぼうぼう生えている(笑)立派な大人です。彼らは選挙権も持っています。
この現実を、良しとするか否かは、聞いた人次第です。受け取り方は様々ありますから。しかし、この小さなこと(松婆にとっては2017トピックTOP3」に入ること間違いありません!)の裏を見ると、実は、父親不在の子育てという問題が起きていることを直視せざるを得なくなるのです。同時に父親の母性化問題も存在します。
つづく