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2019年(令和元年)9月23日 ~シルバー講師松婆の独り言~
今回のテーマ 「一に我慢,二に我慢・・・」
こんにちは松婆です。 日本列島,台風に次ぐ台風で,安心して過ごせませんね。
ブドウの次は梨,そして柿,福岡の名産に被害が及ばないことを祈ります。
2学期に入り,中学生は中間テストの季節となりました。
クロ学(クローバー学舎)では,学校の勉強を最優先させますので,日々きちんと塾の
宿題をクリアしている人たちは,多少は余裕の時間があり,学んだことの習熟と暗記に
貴重な時間を使うことができます。学校のワークの再トライをする人,教科書のまとめを
する人,塾から渡された過去問を解く人,そういったプログレッシヴ(進歩的な)な勉強が
できる人はよいのですが,残念ながらそうでない人もチラホラ見られます。
テスト範囲のワークをいつまでも必死にこなしている人です。
早く目覚めてほしい,その一念で,講師たちは日々生徒さんたちと向き合っています。
さて,先日,日本の近世,つまり江戸時代の様子を学ぶ機会がありまして,興味深い話を
得ました。中2で学ぶ江戸時代の歴史の中に,「参勤交代」というイベントがあり,それは藩主たちに課せられている義務なのですが,教科書通りに解釈すれば,江戸には妻子を人質として住まわせ,国元では藩を統制し,定期的に江戸に赴き,将軍に拝謁(はいえつ)する・・・,大名は非常な危機感をもって国元で暮らす・・・といった感じなのですが,実際はどうも違うらしいのです。
どういうことかというと,江戸が生活の基盤で,都会のにぎやかな中で暮らすほうが楽しかった!らしいのです。国元には城代家老(国元を守っている口うるさい爺さん族)が待ち構えていて,帰れば留守の間の愚痴や不満を聞かされるといった現実なんだそうです。
今風に言えば,「やっば,国元帰省やん,ガチ怒られるし・・・」てな感じでしょうか(笑)
殿様たちにとっては,故郷の方がaway アウェーであったという話でした。
国元で,庭の植木の剪定(せんてい)なんぞやっている殿様たちの場面が,何だか違ったものに見えてくるのが面白いですね。
もひとつ,これは「能楽」という日本の芸能に関することなのですが,明治に入るまでは全国各地に能楽を演じることができる舞台はあったらしいのです。
なぜ全国に広まったかというと,江戸幕府の徳川家康が,武士のたしなみ,立ち居振る舞いのマナーの基本として,能の動きを武士たちに学ばせたからということです。御承知の通り,家康は戦国の世を本当の意味で太平に致しました。その際,家康は,全国の教養もない
荒武士たちにズケズケと江戸城に乗り込んでこられてはたまらん!と思い,彼らの所作のお手本として,能の動きを学ばせたということでした。
残念ながら,明治維新で藩が無くなったことで,全国展開していた能楽の権威は,しばらく地に落ちることになります。
とまあ歴史の何だかんだはこちらに置いておき,「我慢」というテーマですが,
この徳川家康という人,若いときは長い間今川家に人質として囚(とら)われの身,成人してからも数々の苦難に遭遇,中でも最たるものは,信長に命令されて,奥さんと出来のいい長男を自害に追いやられたことでした。やっと天下治めたときには既に62歳。
(そういうわけで江戸幕府開いた年号1603年は「ヒーローおっさん1603」で暗記してもらっています)
家康の名言はたくさんありますが,狂歌「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに 食うは徳川」にあるように,「我慢」がキーワードです。
家康は「戦いでは強い者が勝つ 辛抱の強い者が勝つ」と言っています。
この言葉の後付けとして,「どんなに勉強しても,勤勉であっても,うまくいかないこともある。これは機が熟していないからであるから,くさらず,ますます自らを鼓舞して(元気づけて)耐えなければならない。信じて耐えなければならない」とあります。
勉強は過酷なもので,すればするほど賢くなる分,自分の足りないところに気が付くことが多くなります。どうか,自分を信じ,今やっていることを信じて,今に生きて頂きたいと
この年寄りは願ってやみません。 ※なお,上記の天下餅の狂歌ですが,家康はボケっと待っていたわけではなく,家臣とともに様々な策を講じつつも辛抱して,石の上にも3年どころか,50年近く待っていたことになります。祖父も父も家臣に斬られ,流浪の身の始まりから天下取るまで,難渋の49年です!