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2019年(令和元年)11月26日 ~シルバー講師松婆の独り言~
今回のテーマ 「嗚呼,受験生諸君!吉と出るか凶と出るかではなく,吉とすべし!」
こんにちは。松婆です。
今年も,もう霜月,早いものです。受験生にとってはいよいよ正念場の季節になりました。
最近,小学6年生の女子が消息不明となり,数日後,無事保護されたというニュースが世間を騒
がせていました。
犯人と思われる男性は,まじめで成績も優秀であったとの報道がなされていました。しかし,高校受験で第一志望高校に落ちたことをきっかけに,どうやら引きこもり的な生活に陥ってしまったとか。
中学生の指導をしている我々にとっては,決して他人事と片付けることはできません。彼が,どういった受験生生活を送っていたかは分かりませんが,何とも何とも悲しく残念なことです。
受験は確かに当人にとってはとても大変で,逃げられるものなら逃げてしまいたい
ものです。まず,結果が怖い!勉強していなくても他人に決着をつけられるのは嫌なものです。親の期待もひしと感じて生きていることでしょう。クラスメートは勉強していても「俺,全然勉強しとらんっちゃん」と平然と言う。分かっちゃいるが何か焦る・・・
受験生たちは色んな不安を抱えてもやもやと毎日を送っています。今後日が経つにつれて,怒りっぽくなったり,悲しくなったり,情緒が不安定になります。大脳生理学的見地によれば,反抗期の時期は,悲しいことや辛いこと,気に入らないことのほうが印象に残りやすく,ますます滅入っていく傾向があると言われています。他人の感情,特に怒った顔に対する反応が強く,察知能力も高く,自分で勝手にどんどんネガティヴになっていく時期だそうです。大人の顔つきに対するセンサーの精度は非常に高いと言われています。
感情を抑制したり,想像力を育む脳の前頭葉がまだまだ未発達なため,衝突が起こりやすいと
言われています。過敏で暴走しやすい中学生の時期での受験生生活は,本当に辛いものがある
と考えます。だからといって,逃げられるものではない!
大人は,成績が上がる下がる云々ではなく,この時期が終わるまでちゃんと生きていて
くれたことに対して,拍手と称賛を送ってあげるべきなのかもしれません。結果が全てではない,その過程が尊いのだということを。我々大人たちは心底信じ,子どもたちに伝えていかねばならないと思います。でなければ,今後の長い人生を生き抜いていく為に最も必要な,自尊感情は育ちません。少々厚かましいくらいでいいのだと考えます。
子どもさんがナーヴァスになってきたら,例えば送迎の折,たまには他の家族には内緒にちょっとスイーツ食べに行ったり,自分の失敗談を話してあげたり,大切なのは結果ではなく,その行程にあるのだということをはっきり伝えるべきではないかと思います。
得体のしれない大きな壁の前に立ち尽くす子どもたちに,「なんちゃないから,あなたなりの精一杯をぶつければいいよ,それで結果が思わぬものであっても,あなたは何かを必ず得ている!それがいいことになると信じなさい!」と懐の深い声援を送ってあげて頂きたい。実際,そういうことってたくさんあるのではないでしょうか。失敗に一々反応していては,より刺激的な,未知の新しい人生に巡り合うことはできません。
結果は「吉と出るか凶と出るかではなく,全てを吉とすべし!」ということです。受験を通して,うまくいってもいかなくても,「俺なりにがんばったやん」といった自己肯定感が生まれれば,勝負に負けても人生には勝った!ということになるのではないでしょうか。たとえ,大人から見て「もうちょっと頑張ってもよかったやん(笑)」と思えたとしても・・・
最後に・・・
「無知の知」という哲学用語をご存知ですか?
「知らないことを自覚する」という哲学者ソクラテスの,哲学の基本です。
また,ソクラテスが大切にしていた言葉に「汝自身を知れ」があります。この言葉は「自分が知らないことを自覚し、その自覚に立って真の知を得て,正しく行動せよ」という意味として,ソクラテスが行動する上での指針としていました。そのため、「無知の知」と「汝自身を知れ」は同じ意味であるとされることもあります。ちょっと難しい内容ですが,松婆は,自分が知らなったことを知ることができたことに純粋に喜びを感じられるようなそういった勉強をして頂きたいと,強く願っています。
高校や大学に入るための致し方ない勉強ではなく,自分の知識を増やし,結果自分の楽しみを
増やせるような,そんな勉強であってほしいと願います。
2019年(令和元年)9月23日 ~シルバー講師松婆の独り言~
今回のテーマ 「一に我慢,二に我慢・・・」
こんにちは松婆です。 日本列島,台風に次ぐ台風で,安心して過ごせませんね。
ブドウの次は梨,そして柿,福岡の名産に被害が及ばないことを祈ります。
2学期に入り,中学生は中間テストの季節となりました。
クロ学(クローバー学舎)では,学校の勉強を最優先させますので,日々きちんと塾の
宿題をクリアしている人たちは,多少は余裕の時間があり,学んだことの習熟と暗記に
貴重な時間を使うことができます。学校のワークの再トライをする人,教科書のまとめを
する人,塾から渡された過去問を解く人,そういったプログレッシヴ(進歩的な)な勉強が
できる人はよいのですが,残念ながらそうでない人もチラホラ見られます。
テスト範囲のワークをいつまでも必死にこなしている人です。
早く目覚めてほしい,その一念で,講師たちは日々生徒さんたちと向き合っています。
さて,先日,日本の近世,つまり江戸時代の様子を学ぶ機会がありまして,興味深い話を
得ました。中2で学ぶ江戸時代の歴史の中に,「参勤交代」というイベントがあり,それは藩主たちに課せられている義務なのですが,教科書通りに解釈すれば,江戸には妻子を人質として住まわせ,国元では藩を統制し,定期的に江戸に赴き,将軍に拝謁(はいえつ)する・・・,大名は非常な危機感をもって国元で暮らす・・・といった感じなのですが,実際はどうも違うらしいのです。
どういうことかというと,江戸が生活の基盤で,都会のにぎやかな中で暮らすほうが楽しかった!らしいのです。国元には城代家老(国元を守っている口うるさい爺さん族)が待ち構えていて,帰れば留守の間の愚痴や不満を聞かされるといった現実なんだそうです。
今風に言えば,「やっば,国元帰省やん,ガチ怒られるし・・・」てな感じでしょうか(笑)
殿様たちにとっては,故郷の方がaway アウェーであったという話でした。
国元で,庭の植木の剪定(せんてい)なんぞやっている殿様たちの場面が,何だか違ったものに見えてくるのが面白いですね。
もひとつ,これは「能楽」という日本の芸能に関することなのですが,明治に入るまでは全国各地に能楽を演じることができる舞台はあったらしいのです。
なぜ全国に広まったかというと,江戸幕府の徳川家康が,武士のたしなみ,立ち居振る舞いのマナーの基本として,能の動きを武士たちに学ばせたからということです。御承知の通り,家康は戦国の世を本当の意味で太平に致しました。その際,家康は,全国の教養もない
荒武士たちにズケズケと江戸城に乗り込んでこられてはたまらん!と思い,彼らの所作のお手本として,能の動きを学ばせたということでした。
残念ながら,明治維新で藩が無くなったことで,全国展開していた能楽の権威は,しばらく地に落ちることになります。
とまあ歴史の何だかんだはこちらに置いておき,「我慢」というテーマですが,
この徳川家康という人,若いときは長い間今川家に人質として囚(とら)われの身,成人してからも数々の苦難に遭遇,中でも最たるものは,信長に命令されて,奥さんと出来のいい長男を自害に追いやられたことでした。やっと天下治めたときには既に62歳。
(そういうわけで江戸幕府開いた年号1603年は「ヒーローおっさん1603」で暗記してもらっています)
家康の名言はたくさんありますが,狂歌「織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 座りしままに 食うは徳川」にあるように,「我慢」がキーワードです。
家康は「戦いでは強い者が勝つ 辛抱の強い者が勝つ」と言っています。
この言葉の後付けとして,「どんなに勉強しても,勤勉であっても,うまくいかないこともある。これは機が熟していないからであるから,くさらず,ますます自らを鼓舞して(元気づけて)耐えなければならない。信じて耐えなければならない」とあります。
勉強は過酷なもので,すればするほど賢くなる分,自分の足りないところに気が付くことが多くなります。どうか,自分を信じ,今やっていることを信じて,今に生きて頂きたいと
この年寄りは願ってやみません。 ※なお,上記の天下餅の狂歌ですが,家康はボケっと待っていたわけではなく,家臣とともに様々な策を講じつつも辛抱して,石の上にも3年どころか,50年近く待っていたことになります。祖父も父も家臣に斬られ,流浪の身の始まりから天下取るまで,難渋の49年です!